The Epic of Zektbach

ニョアの手記

冒険者諸君、ごきげんよう。ニョアである。

The Epic of Zektbach『Ristaccia』であるが、
諸君はOsamu Kubota公によるオーケストレーションバージョンは耳にしたであろうか?

http://www.konamistyle.jp/sp/zektbach_1st/

まだ聴いていない御仁がいたら、是非聴いてみてくれ給え!

さて、白鳥海をしばらくイカダで彷徨った私であるが、待望の陸地が見えてきた。
おそらく、あれは絶海の孤島ファラリエンであろう。
そろそろオスティヌスの怒りもさめてきた時分だろうし、ガルキア大陸に戻ろうとも思ったのだが
折角遠くまで来たことだし、ファラリエンの美しい景観を見てから帰る事にするにゃ。
ファラリエンはご存知の通り、美しい聖女アンネースの生まれ故郷である。
そんなわけで、久し振りにStoryページの第四章も更新しておいたにゃ!

そんなイカダ猫であるが、今日も君達の便りに答えるとしよう

オスティヌス様は現在激怒中とのことですが、ニョア様が逃げ惑うという
オスティヌス様の怒りとは如何ほどのものなのでしょうか?
ぜひ一度お手合わせ願いたいものです。それほどの力を持つならさぞかし経験値が…
い、いや!純粋に忍者としての力を試したいだけであり、
よこしまな思いは一切ありません!勘違いしないでいただきたい!
(忍者シェイドより)


さすが忍者よこしまだにゃ!
しかし、挑んだとしても君が欲しい経験値はもらえないだろう。
なぜなら、奴を倒す事はほぼ不可能だからだ。
オスティヌスの大人しい鳩の姿はあくまで仮の姿であり、怒ると本来の姿になる。
奴の実体は燃え盛る生命の炎を纏った、不死鳥なんだにゃ。
その青白い炎は生命力を絶大に回復させる力があり、君の攻撃がもしヒットしたとしても
オスティヌスはすぐに回復してしまうだろう。
なので、奴を倒すにはまず炎を消さねばならないのだが…それは私を倒すくらい難しい事だにゃ。



信じてください。
僕じゃないんです。
確かにその時僕は、お腹は空いていましたよ。
だからといって、それだけで僕を疑うなんて勘違い、思い込みも甚だしい。
この疑いが晴れぬのならば、いっそこの深い海へ身を投じようかと何度思ったことか!
とにかく、父上の蟹雑炊を食べたのは僕じゃありません。
信じてください!
(学院生マコトより)


落ち着くにゃ!
蟹雑炊の為に身を海に投じようとは何事だ!
君のような純真な眼差しを持った人間が、蟹雑炊をこっそり食べるような
事をするわけがないじゃないか。
疑いようがないにゃ。信じるに決まってるにゃ。
もっと言えば、父上の蟹雑炊を食べたのは私であるがゆえ君のはずがないにゃ!


私は今当てもない旅をしている冒険者です。
最近、どの方角へ進んでも目の前にあるものは絶壁です。
歩いても歩いても、必ず止まってしまいます。
この様な困難を突破するには、それに値する知恵と勇気と力が必要です。
私にはそのようなものは微塵にもありません・・・。
どうか私に力を与えてはくれないでしょうか?
(冒険者piccata.cより)


困難を突破するものは高い知恵でも大きな勇気だけとは限らない。
あるがままを受け入れ、そこからいかに楽しさと幸せを見つける気持ちが大切だにゃ。
人は壁にぶち当たるとおのずと悲観的な部分だけを見ようとするが
実は困難の壁は見ようによっては多くのチャンスと幸せが埋もれているポイントだと思うのだ。
困難には必ず終わりがある、だからそれまでにお宝をみつけるにゃ。
例えば、自分を嫌っている人が周りにいるとしよう。
その人が嫌っている理由は様々な場合があるが
少なくとも自分の何かに大きく反応をしているはずだ。
この大きくってのがポイントにゃ。
こういう人はちょっとした切っ掛けで自分を一番理解してくれる人に変わる可能性を秘めているにゃ。
あるがままに受け入れて、幸せの感受性を高める事が大事だと思うにゃ。
『願わくば、我に七難八苦を与えたまえ』
と、ヤマナカシカノスケという昔のサムライも言っていたにゃ!頑張るにゃ!

では、この辺でさらばにゃ!

――――――――――――ニョアの手記 30 ――――――――――――

(2009.02.12)


The Epic of Zektbach -FRAGMENTS OF ARIA TE'LARIA-

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