The Epic of Zektbach

ニョアの手記

冒険者諸君、ごきげんよう。ニョアである。

それは、ファラリエンの海岸で蟹と一緒に途方に暮れている時であった。
水平線の彼方より一艘の小さな漁船がこちらに近づいてきたのだ。
マストに靡く大きな旗、そこには黄金の肉球が描かれていた。
あれに見ゆるは、私の師匠であるポッチョイ老人の船ではないか!
もしや心配して私を探しに迎えに来てくれただろうか。きっとそうに違いないにゃ!
私はこれで帰れる!と思い両手を広げて海まっしぐらした矢先に
足元を何かにすくわれ、思いきり転んでしまったのだ。
気がついたのは、船の上であった。
ポッチョイ老師は甲板で魚と一緒に横一列に並べられた私を覗き込みながらこう言った。
『網の中にビッグな獲物がおると思ったらのう、まさかお前とは思わなんだわ。ホッホッホ。』
師匠はファラリエン近海にたまたま網漁に来ていたらしい。
ともかく、私はこれでガルキア大陸に帰れそうだにゃ。運がいいにゃ!

さて、『The Epic of Zektbach -Ristaccia-』が皆に届く日がいよいよ間近に迫ってきたにゃ。
そこで、特設ページを大幅にリニューアルしたぞ。
冒険者諸君は是非ご覧あれ!
http://www.konamistyle.jp/sp/zektbach_1st/

今日はポッチョイ師匠の船の上で諸君の便りに答えようと思うにゃ。

ニョアさんこんにちは。
もうすぐわたしの学園で「遠足」というものがあるんですが、
どうやらその日は雨になるそうなのです・・・。
雨雲をすべて消し去る魔法でもあればいいのですが・・・
なにかいい方法はないでしょうか?
あとおやつにカルカンは入るでしょうか?
(学院生アルネラより)


昔から伝わる雨をふせぐ魔法道具にてるてるぼうずというものがある。
これは、発動確率がその人の精神力と雨属性値によって変わるという
やや確実性に欠いたものである。
結論を言ってしまえば、自然の力を人類だけで確実に変える事は難しいにゃ。
雨雲を吹き飛ばしたとしても、別の場所で雨雲が発生して
別の場所の遠足が無くなってしまうかもしれないからにゃ。
楽しみが雨で中止になるのは残念な事だが
もし、自分たちの場所で雨が降ったおかげで別の多くの場所で遠足が
楽しく行われたと想像したらどうだろうかにゃ?
そして、カルカンはおやつに含みません。これは言うなればお弁当にゃ。

こんにちはニョア様!
私は各地からモンスターの討伐依頼を受けているのですが、大変なことになってしまいました!!
うっかり依頼主からろくに情報を聞き出さないまま現場に向かったら、
そのモンスターはとてつもなく巨大でとてつもなく強靭なドラゴンだったのです!!
情けないことにその姿を見た私は今、岩陰に隠れて震えております。とても危険な状態です! ニョア様!なにか策はないでしょうか!!できれば逃げる方向の策がほしいです!
(冒険者クナナより)


山登りの達人の言葉に、降りることこそ山登りの真髄だというものがあるにゃ。
降りるために山に登るのだ、と。
それは、山を登って行くうちにかかる独特の興奮状態で恐怖を忘れてしまった自分から
平常心を取り戻し、冷静な判断をする時こそ最も大切でありぷろふぇっしょなるなのだというにゃ。
素人はこの興奮状態から抜け出せず無理に登頂に挑み取り返しがつかなくなると言う。
これは、どんな事にも言えるのではないかにゃ?
引き返す事こそ、最も勇気がいることで
物事を進む理由は、いつか引き返す為にあると言ってもいいのでは無いかと思うにゃ。
なので、無理だと思ったらすみやかにくえすとりたいあするにゃ。

私はモノをかく事が好きです。
紙の上に、自分の世界を描きだす事、書きだす事。
その世界を遠くまで広げていく事…できた物語を語る事。
それが楽しくて仕方ないのです。
しかし、他者から見れば、現実を見ていないと言うことなのでしょう。
夢はいずれさめるものだと言われてしまいました。
…平たく言えば、趣味は仕事にできないと…。
確かに。確かにそうなのですが。
いくらそう言われても諦める事ができません。
…夢見がちな詩人は、この厳しい現実を生き抜けないのでしょうか?
(詩人ヒカルより)


よく言う現実というものは、必ずしも真理とは言えないかもしれないにゃ。
現実世界は長い時間をかけて人類が共同で脳内に築いた、あくまでも最大公約数的な世界かもしれない。
それは人類誕生からのあらゆる個人の知覚や感覚がぶつかり、淘汰を繰り返し統合されたもので
実は真理は全然別にあって、今の世界は只あたかも脳がそう見させているだけだとすれば
現実というもの自体夢を見ている事かもしれないにゃ。
そう考えると芸術に打ち込むことということは、別の観点から真理を追及する素晴らしい事だと思う。
社会という1つの有限な構造があるから、自分の出来ることも有限であり
生まれながらに人はその構造に組み込まれ、それに依存せざるを得ないと思うが
個人の心の中は無限の可能性を秘めていて、自由に好きなだけ使えるものとニョアは思うのにゃ。
自分だけが自由に無限に使える唯一の場所なのだから、これを使わないのは勿体ないにゃ。
長い人生でどれだけ多くの感覚の受け皿を作り、どれだけ多くの角度から本当の世の中を自分で表現できるか
これは自分が生きている実感の1つにもなるかもしれないにゃ。
そしてこの感覚は仕事にするとか、厳しい現実とかそういうのとは一切関係ない場所にあると思う。
だからこれからも沢山作品を作り、世界を追及していくといいにゃ!

では、今日はこの辺でさらばにゃ!

――――――――――――ニョアの手記 33 ――――――――――――

(2009.03.04)


The Epic of Zektbach -FRAGMENTS OF ARIA TE'LARIA-

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