The Epic of Zektbach

チャコルの手記

冒険者諸君、ごきげんよう。ニョアである。

「The Epic of Zektbach -FRAGMENTS OF ARIA TE'LARIA-」が遂に発売されたにゃ!

お待たせして本当に申し訳なかったにゃ。
全ての冒険者達に感謝するにゃ!ありがとにゃ!

ピアノの調べに耳を傾けアリア・テ・ラリアの壮大な世界を想像するのも良し
譜面を見ながら自分なりに各叙事詩を奏で、人に吟遊せし者となるのも良い
ドラマCDを聴き、アンネースのそばで彼女の行動や思いを考えるのも良いだろう
映像をみながら、記された文章と共に色々な考察をしてみるのも良いと思う

とにかく冒険者の数だけ楽しみ方はあると思っているにゃ!
さあ堪能してくれたまえ。そして忌憚のない御意見・御感想を伝書鳩で私に頂けると嬉しいにゃ。

さて、ここで君達へ1つ小話を贈るにゃ。

古代ギリシャの数学者ピュタゴラスはプレイオスという土地で
その地の僭主であるレオン公に『君は何を専門としているのか?』と聞かれた時
『ピロソポスです』と答えたそうである。
この言葉を初めて聞いたレオン公がそれの意味を問うと、ピュタゴラスはこう答えたそうだ。

『人生とは競技祭に来る人々に似ています。
ある者は競技で勝利して名声と栄誉を得ようとここに集まってくる。
またある者はここに集まる人を相手に商売をし、金を得ようと来ています。
しかし、ここで起きることすべてを観察し理解しようとして来るものは多くはありません。

人生についても同じ事が言えましょう。
富への愛や名誉、権力、支配を欲する情熱は盲目的に引きずられた奴隷的な生き方であり
最も優れた人間は人生の意味と目的とを見いだすことに専心するのです。
つまりは自然の神秘のヴェールを剥ごうと努力するのです。
これこそが私が、知恵を愛する人と呼ぶ人間――ピロソポスなのです。』

将来の名誉や地位、お金の為に一生懸命勉強したり働いたりするのも良いだろう。
ほとんどの人がそう言われ、そう教えられ、そう育っていくのであるから。
しかし、ピュタゴラスの言うように自分自身で知を追求する事が最も重要で有意義であると私も思うにゃ。
名誉、地位、金といったものは時代が変われば何の意味も為さない。
例えるなら、チェスという決められたルールの中での持ち駒や配置の有利・不利のようなものだ。
チェス盤から外れルールが無くなった時、駒や配置に単独で果たしてどれだけの価値があるのか。
チェスのゲーム中に、自分が対戦相手に勝つ事でなく
チェスのルールを作った人はどういう顔なのか、なぜ駒はこの形なのか、
この駒を窓の外に放り投げたらどういう何が起こるのか
そう考えている人はほとんどいないであろう。

何が言いたいのかというと、
君達にはそういう考え方のできるピロソポスになって欲しいのである!
叙事詩第二章の主人公、リアンがそうであったように。
実はこれはZektbach叙事詩の1つの大きいテーマともなっているにゃ。

君達から便りが沢山来ているのだが紹介できずに申し訳ない…次回に一気に読もうと思うにゃ。
いつも沢山の便りをありがとにゃ!

では、今回はこの辺でさらばにゃ!



「The Epic of Zektbach -FRAGMENTS OF ARIA TE'LARIA-」
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――――――――――――ニョアの手記 81 ――――――――――――

(2010.03.31)


The Epic of Zektbach -FRAGMENTS OF ARIA TE'LARIA-

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